大井戸水神社(高松市・旧高松市)
 

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 大井戸水神社

大井戸水神社は、菊池寛通りから南新町商店街へ入った、最初の道を東へ進んだ途中に鎮座。
入口は、伸縮門扉で仕切られていて、人1人分だけ開けられていた。
手前にさい銭箱、その向こうに、社殿が祀られている。
井戸というよりは、池とか出水のような大きなもので、転落防止のネットがかけられ、中を覗くと金魚が泳いでいた。

由緒(香川県神社誌)
県社石清尾八幡神社境外末社。寛永年間生駒高俊の奉齋せし所と傳ふ。
天正十五年生駒親正篦原庄なる八輪島(篦原の古名)に築城の時、香東川が城下の中央を流れ居たる為め屡透垣ありしを以て、これを坂田郷より分流せしめたり。
然るに四代高俊に至るも猶水害を免るゝ能はざりしかば、城下の水流を絶ちて弦打村に流下せり。
茲に於て水害は全く絶えしも飲料水の缺乏を来すに至れり。
依って此地に井戸を穿ち栗林公園の泉水と横井の竜水を併せて溜水となして附近に給水をなす(松平頼重に至り樋管を設けて各戸に配水す。)
この時井の傍に守護神として當社を奉齋せしものにして、土人此の井を読んで大井戸と稱せり。

 小祠

大井戸
史跡 昭和五十年十月二十三日 市指定
天正十五年(一五八七)讃岐の領主となった生駒家初代親正は香東川の砂洲上に高松城を築城して城下に武士・町人などを住まわせ城下町をつくったが、香東川がしばしば氾濫して治水に苦しんでいた。
生駒家四代高俊公(一六一一〜一六五九)のとき、家臣西嶋八兵衛に命じて分流する香東川の川筋を香川町大野で一方を塞き止めたが、このため城下の飲料水の質が悪くなったので町の各所に井戸を掘り、傍らに水神社を祀った。
その後、松平頼重公が寛永十九年(一六四二)に高松藩主になり、町の発展にともなう城下町の飲料水対策として、旧川筋に大井戸・亀井戸・今井戸などの給水池を整備し、地中に土管や木樋・竹管などを埋めて町々に配水した。
この時を始めとする藩政時代の上水道は、その後引き続いて使用されていたが、現在の上水道が普及するにつれて順次すたれ、水源池となっていた井戸も大井戸を残すのみとなった。
水源の乏しい高松にとって、藩政時代唯一の水道遺構であるこの井戸は、貴重な史跡です。
高松市教育委員会

 

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