鰐河神社(三木町)
 

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 鰐河神社

香川県木田郡三木町の鰐河神社は、ことでん長尾線白山駅より南へ歩いて15分の所に祀られている。
この日は、御旅所の方から入り、石橋を二つ渡って境内へ。
境内の石造物は、鳥居、狛犬、手洗石、百度石。
お参りをすませた後、周囲を散策してみたが、社叢が大きく風通しの良い気持ちのよい神社だった。

豊玉姫が上陸したのは、鵜羽神社のあたりでここから川を上って来たという事らしい。
この神社のご利益は、恋愛成就。

石橋の石板には「さぬき十五社第四番鰐河八幡宮」、地図では鰐川神社、香川県神道青年会の冊子では鰐河神社となっているが、ここでは鰐河神社で記録。

拝殿と本殿

讃岐三木鰐川神社由来
紀元前、浦島太郎が竜宮を去った後、乙姫は太郎を慕って浦生の里に辿りついた。
浦生は今の屋島西町である。 姫は太郎のこを身籠もっており、男の子を生んだ。
この子は鵜茅草葺不合尊と呼ばれ神武天皇の父となった。
乙姫は豊玉姫と呼ばれ浦島太郎は彦火火出見尊と呼ばれた。 乙姫は鵜茅草葺不合尊を生むと鰐にのり新川をさかのぼり三木町の高岡郷に着きここで永住した。
鰐川神社は豊玉姫を祀る神社である。 平成元年一月吉日。

 周辺の様子 狛犬

由緒(香川県神社誌)
應神天皇 豊玉姫命 四條八幡宮、或は高岡八幡宮と奉称せられ、延喜式内和爾賀波神社は當社なりとも云へり。
三代物語に「四條八幡宮・・・和爾賀波神社・・・高岡一郷社祀之」とあり、全讃史には「和爾賀波神社、高岡一郷の産土」と見ゆ。
里人の傳ふる所、海童の女亀に乗りて山田郡潟元の浦に来り鵜茅草葺不合尊を生む。
因て其の地を浦生といふ。
遂に鰐魚に乗り流れを泝りて四條に位たる。
依て其の川を鰐河と云ひ、亦祠を立てて之を奉ぜし所を鰐河神社と稱すといふと。
又社僧應神寺記には、聖武天皇御宇僧行基此の里に来りしに、夜夢に神童鰐魚に乗り四條川を泝り来り告げて曰く、當地は諸神諸仏遊戯の地なり、師一宇を建て一神一佛を安置せよと。

行基前日の浦生の明神を拝し最畏く思ひゐしに今夢告あり、大いに畏みて應神寺及び鰐河神社を建立すとあり。
又極楽寺記には「延喜七年夏四月明印高岡八幡宮勧請、一群八幡始」とあり。 (全讃史之を引きて「今考之原玉豊姫爲主延喜時以八万神配之也」と云へり。)

この時醍醐天皇より本地佛金像阿弥陀仏三躰神剣二柄奉納ありて社領数町を賜ふといふ。
右本地佛は明治維新神仏分離の節當村願勝寺に預けたりと。 永承四年勅して佛舎利を賜ひ、弘安四年元軍の来襲に當り、勅ありて異賊退治の祈祷を修す。
秋九月社領御搦窒り、亦剣一柄を下賜せられて今猶伝内に納むといふ。
又當社は男山八幡宮に倣ひ社前の川に於て放生会を執行し来たりしもいふ。
さて當社は戦国兵乱の後衰頽を極め、社領も喪失し同寺焼失と共に烏有に帰し、僅かに残存の物も天和三年祠官退職の節失ふに至れり。
享禄年間領主三木紀伊守高長社殿を改築せしが、元禄十五年十二月三日火災に罹り全焼す。
明治五年社號を鰐河神社と改稱、郷社に列せられ、同四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

 川に祀られていた祠  無縫塔(僧侶の墓)
 





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