冠纓神社(高松市・旧香南町)
 

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 冠纓神社

冠纓神社は、県道13号線(三木綾南線)沿い、香南小学校の東南に鎮座する神社。
社叢は大きく広く広がり遠くからもよく目立つ。
駐車場も完備され神社の裏手から石段を上らないでお参りできる。
冠纓神社へのお参りする時は、御旅所の所へ自転車を停め、石段を上ってのお参り。
神社境内は、設置されているスピーカーから、常に音楽(雅楽あるいは太鼓)が流れている。
安倍晴明と関係がある神社なのか、「安倍晴明ゆかりの神社」という看板が神符授与所と駐車場入口付近にかけられている。

由緒
当社は、貞観三年(八六一)、白髭の翁の伝説で知られる智証大師円珍の創建と伝えられる。
延文の頃(一三五六)岡ノ館に本拠を置いた細川頼之は、当社を深く崇敬し、京都石清水八幡宮の冠纓を献じて冠纓神社と呼ぶようになった。

以来細川管領家の信仰厚く、貞治二年(一三六三)頼之が神廟を造営したほか、勝元が金幣を奉納、晴元が奉加帳を納めるなどしている。
その後藩主、生駒氏、松平氏ともに社領を寄進して奉賛し、明治になって神饌幣帛料供進社、大正七年に県社に昇格して終戦を迎えた。


冠纓神社社叢
昭和五十二年香川県自然記念物に指定された本社叢は、クスノキ、スギ、モミの大木に、マツ、ツクバネガシ、ツブラジイなどが茂り、中下木にモッコク、イヌマキ、ヤブニッケイ、マンリョウなど、自然の植生を、面積三万三千平方メートルの境内いっぱいに展開して、百二十種類に及ぶ植物が群生する。
最近変貌が著しいこの附近の丘陵部にあって、古代から連なる原生の動植物の生態遷移を知るための自然体として貴重である。
また、心安まる鎮守の森として、上古からの郷土人の生活のルーツをたどるためにも、守り育てたい一帯である。

 拝殿と本殿

1.社名 冠纓神社
現在は冠纓(かんえい)と呼んでいるが神代時代神漏岐・神漏美の変化によりカムロの社名がついたという説がある。
江戸時代以前は、冠尾(かむりお)と云われていた。
そして又この地方の人々は、冠纓神社をカムロさんと云い崇敬をしている。
この御社名の由緒は、天和3年(一六三八)香川景助の細川岡城記中に「細川頼之公の母石清水八幡に祈り頼之を産めり。
因々平生八幡宮を信仰せしかば 井原の中央に鳩峯を勧請し、石清水八幡の冠纓を請齋籠に因て、冠纓八幡宮と号せり」と誌している。
中山城山は、文政十二年(一八二九)に著した「全讃史」中に細川頼之が石清水八幡宮の「冠を献じて以て親ら供奉するの代を為すと。而る後に冠尾の号あり」と書いている。
細川武蔵守頼之は、延文二年(一三五七夏4月阿州勝瑞の館を発して此地に訪れているので、その頃冠尾八幡宮と云う御社名が定められたようである。
そして明治にいたり、冠尾を冠纓に改められている。それが今の御社名である。

2.所在
香川県香川郡香南町大字由佐字三原「由佐村の月見原に在り」と「全讃史」に書かれているが、これが鐘鋳神社の鎮座している今も変わりない香南町大字由佐字三原「みのはら」が何時からか「つき」がのき「みのはら」となり見原(みのはら)が三原(みのはら)になつたと云ふことである


 全景 石段
 厳島神社 地球新生神宮(地神社)
 白鳥神社 龍王神社
 祖霊社・農人形社・賽の神(道祖神)  忠魂社
 


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