天川神社(まんのう町・旧琴南町)
 

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 天川神社

天川神社は、国道32号線沿い、御岳山の麓に鎮座する神社。
境内は、山と道に挟まれ、国道に沿って細長くのび、樹木は巨木で、巨大な社叢を形成している。
この神社にはこんな伝説がある。
「昔、この神社に天から星が落ちてきて少女の姿になる。子がいなかった黒麿は、この少女を天からの贈り物と喜び、大切に育てた。
成人した少女は、境内の湧き水で甘美な酒を造る。この酒はとても美味しく、病人を治し、人を元気にさせた。
この酒を帝に献上したところ、賞められ黒麿は「酒部」の姓を名のる事を許された。」
この酒を造ったという、神社の湧き水は涸れたようだが、ここから少し奥に入った所に「荒神の名水」という湧き水があったりするので、昔からこの地域は良い水が出たのだろう。

由緒(香川県神社誌)
社傳によれば、天川御嶽山に座す神輿台産霊命は、往古天より降臨ます所なり。
これを神場之谷と云ふ。神斎場、醸酒嬢の義なり。
景行天皇の皇子神櫛王三世の孫須賣保禮命國造となり此の神を祭る。
時に手置帆負命の裔をして長尾郷に来らしめ大峡小峡の木を伐りて御殿を造らしめ又神祭の物を奉らしむ云々。
是より先、日本武尊吉備穴戸の悪神を誅し給ふ時吉備国に幸し吉備穴戸武媛武殻王を生む。
王亦悪神を誅するの功により讃岐に留まり香川郡以西は王の領有となり當社を崇敬し給ふ。
武殻王四世の裔綾眞玉の子酒部黒麿は世に城山長者と云ふ。
是亦此の神を祭りて醸酒饗饌の儀典あり。今その地傳へて古老の口碑にあり。
爾後裔孫相次で崇敬す。
黒麿の遠裔那珂湊に居る者黒麿公をこの祠に配祀し社殿を造り崇敬怠らず云々、と云へり。
又、文化四年の天川神社旧記によれば、従五位下天川大明神、所祭神三座、興登魂命、妙見星神、坂部黒麿、社傳の古記曰當社は人皇四十五代聖武天皇天平二庚午九月十九日興登魂命此地に降臨ありて鎮座し玉ふ神境也

其の時讃岐の国造の始祖神櫛王遠裔益甲黒麿と言ふ者あり
那珂郡神野郷に住す。同天平十九年丁亥三月十五日庭前に天上より一つの星落ちて忽然として少女となる。
黒麿曰く、吾に嗣なし、幸に興給ふなりと厚く撫育し、名を善女と呼ぶ。
成長の後此の女能く酒を醸りぬ。酒甘美にしてくむとも、つきることなく、かつ病を治して寿域に至らしむ。
四十六代孝謙天皇に奏し酒を献じ奉る。
帝大いに賞し玉ひ勅ありて酒部の姓を賜ひ酒部黒麿と號す。
神野郷を戸長と称する事は是酒を酌む人は、其の徳に依って寿命長久を得るの謂ならむか。
善女、男子を産す。道隆の王と云ふ。又移りて良野の大堀と云ふ處に居住す。
其の跡今に存ず。

拝殿と本殿

 狛犬

 大堀

大堀は中世における豪族の館址で、王堀とも王屋敷とも呼ばれている。
古代は天皇家を中心とした豪族が大和を統一し、その皇胤は別の王として、地方の人々に迎えられ地方官として、大和朝廷の勢力伸長に貢献した。
讃岐国における神櫛王もそれであり、酒部はその子孫と伝えている。
讃岐廻遊記には、王堀は酒部道隆の館址であると記し新撰讃岐風土記には、道隆の子酒部成善が王堀の地に保志野神を勧請したと記している。
場所:まんのう町吉野

 


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