楠尾神社(高松市・旧国分寺町)
 

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 楠尾神社

楠尾神社は、JR端岡駅より歩いて10分ほどの所に鎮座する神社。
初めは、「甲朕の宮(こうちん)」と呼ばれていたが、神功皇后がこの地の大楠を所望されたのを由来として、楠王神社となり、その後今の楠尾神社となった。

由緒
古代讃岐の忌部の祖、手置帆負命が当国の国造であった時、国の平和を祈る鎮護神として小祠を祀り、命の次子、手置日下大人道長を宮仕えと定め、楠尾の宮と崇め奉った。
そのころ社辺に楠大木数多繁茂し、朝廷の造船用木に献上したとも伝えられている。
別名「甲朕の宮」の号がある。
仁徳帝の御宇、霊異があり、さらに欽明天皇の御宇には光り物が飛来して楠枝に留まり、三日三夜光り輝いたので、人々大いに驚き社殿を造営し、後に八幡神を合祀してこの地の氏神になったともいう。
仁和二年(西暦八八六年)に社が再建され讃岐の国司菅原道真が奥谷に庵居を置いて当社を尊崇、境内に<池ノ房庵>を建てた。
このころ、南の下乗石を再建し、当社は大社になっていたようである。
鳥羽帝の保安年中、讃岐守藤中納言家成が一女に宮仕えさせて尊崇した。
天正十年(一五八二年)長宗我部軍の来襲によって当社もその戦火に遭い、社殿・宝物記録等を焼失し、神宮・諸役の社人・社僧のほとんどが離散した。
その上、社領の田地は、国主尾藤氏に没収されて大半を失った。
生駒家の代となり、一正は家老安芸肥後に命じて社殿を修造し、社領を付し市立ての広場まで開発したことが「全讃史」に記されている。
天和元年(一六八一年)八月に大洪水あり五間四面の本殿と社殿は風雨のために倒壊したので再建した(社記)。

拝殿と本殿

 狛犬と朱印

田村社 猿田毘古神

 

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