内浜霊神社(観音寺市・旧観音寺市)
 

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 内浜霊神社

内浜霊神社は、丸亀詫間豊浜線沿いの琴弾山・興昌寺山を、ぐるっと北へ回り込んだ所に鎮座する神社。
祀られているのは、この地区で起こった暴動で殉職した、警察官の小島勝卦(封)、宮崎瀧松両氏。
この讃州竹槍騒動は、二万人の群衆が各村(百三十村)を侵攻し、打ち壊しや焼き討ちをしながら、東へ進撃するが、高松から出動した軍隊に撃破・鎮圧され、終息している。

 全景・祠

内浜霊神社の由来
この神社には、明治六年六月二十七日、竹槍騒動の殉職警官である小島勝卦、宮崎瀧松両氏の英霊が奉齋されています。両警察官は当時二十七歳でしたが、観音寺村下市の屯所で良民保護に日夜粉骨精励せられておりました。
ときは明治六年六月二十六日、豊田群下高野村に「血税、子取婆」の騒ぎが起こりましたが、やがて西讃一帯で幾万人ともしれない暴徒が役場や旧庄屋、寺子屋、社寺等を焼くという「竹槍騒動」になりました。
この時、両警察官は慨然身を挺してこれの鎮撫にあたりましたが、衆寡敵せず終に斃られました。この殉職両警察官の英霊義魂を無限にお慰め申し上げるため官民が合同して、この地に内浜霊神社として祭祀したものであります。平成二年五月吉日 観音寺警友会

霊神社碑文解説(案内板写す)
お上が巡査の精度を設けたのは、新しい世の中で悪を正し、暴力を抑制し、国民の固陋頑迷さを解消する文明開化の行政の一翼を担う為である。
その地位は、役人としては低いけれども、その職責は、重いのである。従って、その職にあたる者は、智勇に秀れ、節操堅固で無ければ、その職責を果たし得ないであろう。
氏族出身の巡査、多度津の小島勝封と同じく丸亀出身の宮崎瀧松の二人は、まさに巡査の職分を果たした模範とすべき人物である。
このたび六月二十六日、本県西讃で愚かな県民が扇動し暴動が起き、村々に放火し、役所や学校など多くの施設や人々に被害が及ぼうとする時、小島、宮崎の二人は、和田浜屯所(警察)勤務であったが、直ちに同僚と共に暴動に参加する県民の説得に当たり、全力を尽くしたが、終に観音寺に激しい暴動が発生し、これを防ごうと全身全霊を傾けたが力及ばず殉職するに至った。
翌日六月二十七日のことであった。
暴動の兆候を察知し、説得する行動は知力であり、暴動を防ぐに全力を尽くし、死をも恐れなかったのは、勇者であり、職責に生きた志節ある人士と言える。
県知事は、このような二人の行動、業績を称えて百五十円の賞金を授け、普及の偉業を顕彰した。二人の殉職場所は、小島巡査は有明、宮崎巡査は室本で、この間、わずか数百メートルしか離れていない。
警察の同僚たちによって、この二人の功績を室本の地に碑石を建て、その霊魂を慰めようと招魂祭をすることになった。その碑文を私に依頼してきたので、私もその趣旨に深く感動するところあり、拙劣ながらその文章を作ったのである。明治六年(一八七三年)十二月一日名東県管下丸亀 中村正蔵撰 辻 金八書 解説者 元香川県警察警視 井下 薫 平成十六年七月吉日。
(財)香川県警察協会

 


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