讃留霊王神社(丸亀市・旧飯山町)

神社の動画もご覧下さい(YouTube)

 讃留霊王神社

讃留霊王神社は、飯山南小学校の西側、
前方後円墳(讃留霊王古墳)の丘にある神社。
見晴らしの良い開けた場所にあるので、迷わずお参りすることができた。
古墳があるので、見学者も多いのか、境内に祀られている物1つ1つに、説明札があり、どのようなものか良くわかる。

地名の法勳寺は、この近くにあったようで、平安時代の創建と推定されている。
この地一帯は、綾氏が開発とされたといわれていて、綾氏とは関係が深い地域らしい。


拝殿と本殿

境内讃留霊王神社由緒より。
この丘は、讃岐の代表的伝説の1つである、悪魚退治のヒロイン武殻(たけかいこ)王墳墓の地であり、王を祀る讃留霊王神社の鎮まります丘である。
今概要をのべよう。
昔景行天皇の御代南海に悪魚現れ船をのみ南海諸国の年貢を略奪するなど、暴虐の限りなく官兵を派すも悉く亡ぼされた。
天皇は、皇子日本武尊に討伐を命ず。
尊は、その子十五歳の勇士霊子を推す。霊子尊を奉し南海に赴き謀を秘めて悪魚に対う。
悪魚その軍船を一呑にするも、動せず火をもて腹の中を焼き、肉を割き、悪魚の屍にまたがり 福江の浦に漂着す。
時に一童子現れその捧ぐる 霊水により毒気に倒れた軍兵皆蘇生、生す。関連神社
この伝説を史家曰く、日本武尊内海の賊を平け、その功を子に譲りたりしと。
天平年中、行基法師は、魚霊堂を福江の浦に王居館の地、玉井の里に、法勳寺を建立し、悪魚の霊を追福した。
霊子長して武殻王は、この功により、この国を賜り民に養蚕の術を教え給いしか、仲哀天皇の入年9月15日齢百二十五歳て薨せられ居館を望む景勝のこの丘に葬り奉る南海の民廟を立て永く讃岐に留り給いしを祝き讃留霊王大明神と称え奉る。
王の子孫は祖先の業養蚕並に綾織をひろめ、年毎の調貢に、綾公の姓を賜り永くこの地方に栄えた。
当地 綾野氏もその後裔と伝えられる。
後弘法大師は、魚霊堂を奉勳寺に遷し王の墳墓の上に薬師入来などの仏像などを納め荘厳なる供養を行う。
又社伝によると桓武天皇の御代神霊此の山に現れ給い神託により、和気氏 王の墓前に社伝を造営すと伝う。

周辺、左の森が讃留霊王神社
 


次の神社へ行く