佐藤継信の墓
 

 佐藤継信の墓

佐藤継信の墓は、八栗駅を出て左に進み大通りに出て橋を渡ると南の川沿いに、案内の旗がたなびいているのでわかる。 神櫛王の墓の前を過ぎちょっと歩くと到着。
扉が閉まっていて、中に入って良いものかどうか迷ったが、鍵もかかっていないようなので見学させてもらった。
敷地中心の石碑を挟んで左に佐藤継信の墓、右奥に太夫黒の墓がある。

大夫黒供養之碑

※洲崎寺案内板より。
屋島合戦では数多くの死傷者が出た。
義経四天王の佐藤継信もその1人である。
平家きっての強者・教経は源氏の大将源義経を射落とさんとするが、武蔵坊弁慶、佐藤継信・忠信の兄弟、江田源三らの勇士たちが駒をずらりと並べて義経の前に立ちはだかる。
教経が「九郎判官義経はずこにあるや・・」と放った矢は、先頭を切って立ち向かってきた継信の左の肩から右の脇腹を射抜いた。
継信は義経の身代わりとなって討ち死にしたのである。

 佐藤継信の墓その2

継信は、寿永4年(1185)2月の源平屋島合戦のとき、平家の部将能登守教経の強弓により、大将義経の一命危ういとみて、義経の矢面に立ち、身代わりとなって討ち死にしました。
この継信の忠死を広く世人に知らせるために寛永20年(1643)初代高松藩主松平頼重公が、合戦当時に義経が丁重に葬ったあとを受けて、屋島寺へ続く遍路道の傍らに建立したものです。
また、墓は牟礼町王墓に残っています。
(案内板写す)