宇夫階神社(宇多津町)
 

 宇夫階神社

宇夫階神社は、宇多津駅より歩いて10分ほどの所に鎮座。秋祭りは盛大で、氏子の結束も強い。
宇夫階神社の本殿は、多賀宮の古材をそのままこちらに移築している。
式年遷宮の古材は、どうなるのかいつも不思議に思っていたが、この様に再利用される事もあるということがわかった。

由緒
古くからの傳によると、当神社は古くは津之郷に御鎮座になり、宇夫志奈大神と稱え奉って居た。
第十二代景行天皇の皇子日本武尊の御子で、 綾君の祖先である武殻王(たけかひこのみこ)が阿野群(あやぐん)に封ぜられて下向され、部内の海岸を御巡視の折、にわかに暴風にあい御船が危うくなられた時、王は宇夫志奈大神に御祈念なさると、どこからともなく一羽の烏が御船の前にあらわれたので、王は水夫に命じて、烏の行く方に船をこがせられた所、泊浦(今の本島)について無事危難をのがれ給うた。
仍って王は一層大神を仰がれた。これから小烏大神とたたえまつることとなったと。
第四十九代光仁天皇の宝亀十年に社殿再興のことが傳えられて居る。
末包家記によると第五十一代平城天皇の大同元年十月申酉の日に津之郷の長者末包和直に託宣があり、「汝わが祭祀を司りて国の守護神と仰ぐべし」と、すなわち和直は神主となり祭祀を行った。
翌二年(八〇七)八月に至り、神威の輝きに依り朝廷に奏聞し、現地に社殿を造営し、神霊を遷し奉ったと。
第五十六代清和天皇の貞観六年(八六四)十一月十五日に勅使下向し位記を進め位田を賜い正六位上より従五位下を授けたまい、更に第五十九代宇多天皇の寛平三年(八九一)九月二十四日に従五位上に昇叙された。
国司に見えたる社即ち国史現在社である。(宇夫階神社誌より)


 拝殿(神明造鉄筋コンクリート造銅板葺)

昭和47年7月30日夜、木造檜皮葺檜造りの拝殿屋根より出火。
これにより拝殿、幣殿、本殿の三棟が全焼。
社殿復興の際に、皇大神宮第六十回式年遷宮の時、「郷古材の領賜」を申請。外宮第一別宮多賀宮の旧正殿を領賜された。

 本殿(伊勢神宮外宮・別宮多賀宮の旧正殿) 磐境

 塩竃神社

塩竃神社
歴史古く由緒ある塩釜神社は、夙に塩業者並びに近郷より崇敬懐慕され、昭和九年現在地の小烏の丘に合祀奉遷せらる。 ⇒蛭子神社
その後昭和四十六年塩田は前面廃止となったが、氏神祭に準ずる塩釜社の神幸祭は遠近老若をとわず親近な協力によって賑やかに執り行われ来たり且は将来とも伝統ある祭禮が永続されることへの町民氏子一般の強い冀望に即し、信仰的意識の定着した民情を体して一同慎憲の上、宇夫階神社総代会と熟議相謀って、この度塩釜神社の改修は塩業者の芳志により細密入念に行われ無事工事が完成し、に塩釜神社にかかる一切は宇夫階神社総代会に名実共に引継がれ奉賛されることと相成った。
冀くば、氏神社、塩釜社の御祭禮が衆望のままに一体化され末永く崇敬あられんことを。
(境内碑写す)

   
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